異邦人のあたまのなか

小説や小説の書き方。本、執筆、ラノベ、アニメを中心に、他に興味あることについて雑多なことを語っていきます。

がっこうぐらし! 感想 物語のなかでの免罪符の扱い方

がっこうぐらし! 感想 物語のなかでの免罪符の扱い方

 

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記事の構成

1,「ミスト」の後味の悪さは「待たなかった」先にあるのではないか

2,「ライフ・オブ・パイ」の免罪符はどこにあるのか 

3,「がっこうぐらし!」の登場人物編 「くるみ」のツインテールは自らの英雄性の留保ではないか。

4,「がっこうぐらし!」の演出編 「ゆき」の現実逃避について

5,「がっこうぐらし!」のストーリー編「ゆき」はいつ自分を許すのか

6,まとめ 「ミスト」「ライフ・オブ・パイ」を比較して見て、「がっこうぐらし!」はどうなのか。

 

こんな感じで感想を書いていきます。

※「物語のなかでの免罪符の扱い方」というテーマで「がっこうぐらし!」とは他の作品も含めて、多角的に書きますが、「がっこうぐらし!」のことだけみたいなって方はページ中央まで飛ばしてくださいね。

 

 

アニメ版の「がっこうぐらし!」はほんとうにすばらしかった。よかったうえに個人的なテーマになっている、「いかに登場人物が物語の中で救済されるか」に深く関わってきたので、是非とも感想を書きたいと思った。

 

突然だが、

アニメ「がっこうぐらし!」

映画「ミスト」

映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日

を「免罪符」三大作品と勝手に命名した。

 

この三つの作品を比較しながら、いかにがっこうぐらし!がすばらしいかちょっと書きたいと思う。

 

私は映画に詳しくないのだが、世間の方がどれぐらい映画を見ているのか私にはわからない。「ミスト」は後味の悪いスティーブン・キングの原作で有名なのは知っているが、「ライフ・オブ・パイ」はどれだけの人が見ているのかわからない。

 

もし私の書く内容に興味があるが、まだ上記の作品を見てない方は損はさせないから、是非見て頂きたいのだが、忙しい日々に映画を二本見ろっというのは相当な暴力のような気もするので、よかったら、「ライフ・オブ・パイ」だけでも見ていただけると嬉しい。これはほんとうにすばらしく、見ないと損をするレベルだからだ。

 

「ミスト」もすごくオススメするが、後味が悪く、ホラーが苦手な方もいると思うので、もし私のつたないネタバレに不快感をしめさないのであれば、続きをご覧下さい。

 

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(注意)ここからは、アニメ「がっこうぐらし!」

以下全て映画

「ミスト」

シックス・センス

ライフ・オブ・パイ

「ゾンビ(1978)ディレクターズカット版」

のネタバレしかしませんので、ご注意下さい。

(このネタバレラインナップは相当悪質のような気がする。先に謝っておきます。すみません。ネタバレなしでは上手く伝えられそうにないのです)

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ではすみませんが、ネタバレしていきます。

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記事の構成

1,「ミスト」の後味の悪さは「待たなかった」先にあるのではないか

2,「ライフ・オブ・パイ」の免罪符はどこにあるのか 

3,「がっこうぐらし!」の登場人物編 「くるみ」のツインテールは自らの英雄性の留保ではないか。

4,「がっこうぐらし!」の演出編 「ゆき」の現実逃避について

5,「がっこうぐらし!」のストーリー編「ゆき」はいつ自分を許すのか

6,まとめ 「ミスト」「ライフ・オブ・パイ」を比較して見て、「がっこうぐらし!」はどうなのか。

 

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1,「ミスト」の後味の悪さは「待たなかった」先にあるのではないか

 

 

ミスト [Blu-ray]

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 ミストを全部見た方へ向けて書きます。ラストの後味の悪さがトラウマになりそうな作品だった。主人公が霧から出てくる化け物から殺されるより、自殺を選ぶ。主人公が車で一緒にショッピングセンターから脱出してきた仲間を射殺していく。辛い立場だ。(主人公が死ぬ為の弾薬が不足しているので、主人公が一人取り残される)

 

その後、どうやって自分が死のうか逡巡しているなかで、霧の中でまったく見えなかった軍隊が現れ、これから霧の化け物に支配されていた世界へ秩序が復活する描写が写ってバッドエンドのような終わり方だ。

 

スーパーマーケット脱出(後半)してからの映像をふりかえってみる。外には予想通り、化け物があふれてきて、主人公の家も化け物の巣が出来ている映像が流れる。どこまでいっても人の気配がない。世界は化け物であふれている。

 

手元にDVDが無くて確認できないが、おそらくスーパーマーケット脱出はクライマックスなので、映画が一時間半ほど経過した後に行動したと思われる。

 

メタ的な視点でも、短い。映画的な時間の流れの中での絶望へいたる時間があまりにも短いのだ。

 

それからすぐにガソリンがなくなってしまい、みんなの顔色をうかがい、やがて、銃をとりだす(記憶で書いているので、多少違っている可能性がある)

 

そして一人ずつ射殺していく。

そして、軍隊が見えて、後すこし自殺を我慢すれば、みんな助かったのに。ここでEND。

 

ここで、ただ単に、「うわー。あとちょっと我慢すれば、みんな助かったのに、後味悪いなー」で終わるのもいいが、もうすこし考えて見る。

 

なんでこんなに後味が悪いのか。

 

ああ、そうか。

主人公は努力(我慢・時間的な粘り)をしていなくて、免罪符を得ることができないから、後味が悪いのだ。

と気がついた。

 

主人公が映画的な時間の中でもひたすらに粘ったり、最後に餓死する寸前まで自殺をさけるとか、なんとか生き抜こうとしたうえで自殺を選んだのなら、もう誰がなんといおうと、主人公は射殺した後、軍隊を見たとしても、自分をいつか許せたかもしれないのです。

 

しかし、映画でのねばらなかった主人公は、免罪符を得ることが出来ない。

きっとこの後、自殺したか、精神が崩壊したと思います。

 

主人公が免罪符を得られなかったことへの圧倒的な嫌悪感。

これが「ミスト」の気持ち悪さかなぁと思った。

 

それでおそらく制作者側が意図的にそういった効果も狙っての構成ではないかと思うので、後味が悪くても、主人公が免罪符を得られないとどうなるのか、を描いた、すばらしい作品だと思った。(個人的な好みではないが、良いテーマの作品)

 

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2,「ライフ・オブ・パイ」の免罪符はどこにあるのか 

 

 

 

今年から意識して大量に映画を見始めたが、今年のベストスリーには確実に入る「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」(以下ライフ)

 

ネタバレするが、物語の序盤で、遭難し、虎や動物と一緒に海をさまよい続ける。それが実は創作で、動物は自分の母やコックだったという衝撃の内容。

 

主人公はまず、荒唐無稽な遭難の話を、事件の真相を調査しにきた人間に話す。虎がいて、オランウータンがいて、シマウマと一緒に漂流した、と。

 

しかし、調査員はそんな荒唐無稽な話は信じられない。だから、真実を、誰でも納得できる話をしてくれ、と主人公にいう。

 

そこで主人公は、動物は実は人間で、母を見殺しにした話や、コックを殺した話など、壮絶な遭難における出来事を語り出す。

 

主人公は小説が書けなくなった小説家に話をしているという構成で、その小説家に問う。「どっちの話が好きだ?」

小説家は、動物の話だ、と答える。

 

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ライフはほんとうに構成が見事すぎる。

船が沈没して、救命艇で動物と過ごすストーリーが描かれるが、それは創作で、実際はサバイバルという名前さえかすむような凄惨なことが起こる。それをメタファーを上手く使って描く。そして、最後にそれは創作だったとあかすのだ。

 

人は辛い時に逃避する。

人によってそれは人格が複数になったり、本や物語、コミュニケーションなど、様々な逃避方法がある。

 

主人公は創作によって、サバイバルを生き抜いた。それでも罪を感じている。猟奇趣味ではなくて、色々なものを食べなくてはいけなかった。

 

これは私たちがなぜ、本・アニメ・映画などのフィクションを見るのかの肯定にもなっている。

創作にたいする力強いエールだと思った。

 

逃避と書いたが、逃避以上のものだ。主人公はこの現実をそのままに受け止めていたら、精神的にいきゆくことは出来なかっただろう。私はライフをホラーものとしても高く評価している。

 

話を免罪符に戻す。

この一連の出来事を罪といってしまうことに私は一抹の不満を感じるが、主人公がそれを胸に秘めているのはあきらかで、辛い。

主人公の「ほんとうのはなし」を聞いた調査員は「動物の話」を信じた。

つまり、主人公へ免罪符を与えた。

 

冒頭から登場する話の聞き手の小説家はメタ的な立場で、これは私たち観客を映画へ深く導くための存在だ。

その小説家も「動物の話」を支持した。

 

主人公は二人からの免罪符を得た。

それでも足らないと私は思った。

足らないとはどういうことか。

 

ラストで小説家に「どっちの話がいい?」と聞いたあと、小説家は答えるまで、間をあける。それは迷っているからではない。迷っている表情ではないからだ。それよりもなんと答えようかと考えているように見える。この演出がすばらしい。

 

その演出は、私たち観客に「どっちの話がよかった?」と聞いているのだ。

 

そうして第三の観客へ免罪符をゆだねたライフという作品。すばらしすぎる。映像も構成もメタファーも良くて、何度でもみたい。

 これが普通に救命艇で人間が出てきたらと考えると、ここまでの絶望と感動は得られなかっただろう。

まさに創作や寓話の底力を感じた。

 

 

 

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3,「がっこうぐらし!」の登場人物編 「くるみ」のツインテールは自らの英雄性の留保ではないか。

 

 

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やっと「がっこうぐらし!」です。長くなってしまってすみません。

 

まずは登場人物から魅力を語っていきます。

 

「くるみ」ちゃんが特に魅力的でよかった。私の中で屈指の「背負っちゃってる系ツインテール」に認定された。f:id:outsiderjun:20151002133654p:plain

 

 シャベルの武装もよかったし、戦闘要員で頼れるお姉さん、そして、男勝りな性格で、「りーさん」がリーダーで頭脳派なのに対して、くるみは手を汚す役かな。

 

くるみとツインテールの関係について。

「ゆき」は「めぐねえ」が「かれら」=「ゾンビ」になってしまってから、精神を崩壊する。「みーくん」はショッピングモールから合流した新参者。りーさんはくるみに対してあまり戦闘には向いていないように見える。だからくるみが「かれら」と戦っているのだと最初思っていた。

 

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でもちがって、くるみは自ら、フォワードをやっている。

それはこの世界のゾンビが「かれら」だからだ。

かれらはかつて机を並べたり、校舎で見かけたがっこうの仲間なのだ。

 

だから、みんな殺したくないし、くるみは何度もかれらを攻撃するときに逡巡する。ショッピングモールからの帰りのドライブでくるみはりーさんに「あいつらには意識はあると思うか。ないと思わないと嫌すぎる」という。

殺したくないけど仕方なく、やっている。

 

じゃあやらなければいいか、りーさんにかわってもらえばいいかというとそうもいかない。くるみは好きだった男の子がかれら化した時に彼を殺してしまう。

そういう思いを他の人にさせたくないのだろう。

 

注目すべき演出で、ショッピングモールへ向かう為に、車を駐車場に取りに行くときに、くるみはなんと、ツインテールをアップにして、かれらに捕まれないようにまとめたのだ。

 

この瞬間が胸を打たれた。

 

彼女はいわばヒーローなのだ。

女性がヒーローになるには、男性がいてはいけない。男性がヒーローになるからだ。萌えアニメけいおん!やまんがきらら系の4コマには男性が出てこない作品がいっぱいあるが、「がっこうぐらし!」では成功している。

 

彼女はフォワードでヒーローだ。

これで敵がエイリアンや人間ではない、ようは殺すことに抵抗がなければ、彼女は喜んでヒーローでありつづけたに違いない。

しかし、敵はかれらだ。

 

あの世界にはおそらく美容室というものはあるまい。

はさみがないというわけでもないはず。

かれらに捕まれたらまずい弱点になるツインテールをなぜ切らなかったのか。

ツインテールが気に入っていたからか。女として髪が命だったのか。

 

だったらツインテールを常に戦闘状態のようにまとめておけばいい。

おそらく、くるみのツインテールは心をあらわしている。

 

ヒーローとして戦かわなければならないが、同時にかれらを殺したくなくて、ヒーローとして完璧になることを留保したい。その気持ちを幼女の象徴であるツインテールに託しているのではないか。ツインテールから卒業することは、戦士になること。大人になること。つまり、ヒーローとしての期待を引き受けなくてはならない。くるみは泣きながら、しかたなく戦っている人物像が私のなかでは立ち上がってきた。深読みのしすぎだろうか。

 

更に深読みというか勘違いかもしれないが、アニメ版の「がっこうぐらし!」では、みーくんとゆきが最後に活躍する。彼女達はショートカットだ。ヒーローを留保していたくるみはやっぱりというか、後半の10話でめぐねえにやられてしまう。ヒーローが新たに誕生するには、ヒーローの不在がおとずれなければならない。くるみの不在により、立ち上がった二人のヒーローはショートカットだ。それは戦う男性性の象徴なのかもしれないなんて思ったり、思わなかったり。

 

  

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4,「がっこうぐらし!」の演出編 「ゆき」の現実逃避について

 

演出が白眉だった。

一話の平和な学校生活がゆきの幻想であって、実際はクラスメートがゾンビ化している恐ろしい世界が現実だった。

 

ゆき視点だと、世界が平和で、実際の客観描写はゾンビだらけの手法はシックス・センスみたいだと思った。

 

この演出のうまさは衝撃だけでなく、ああ、自分のなにか辛いことがあったらこういう風に逃避をするかもしれないという妙な納得感があったので、これだけヒットしたのだと思われる。

 

一話で、ゆきが現実からショックによって逃避していることがわかった時に、私はこの逃避をどうやって消化するのか気になった。

 

ここで脚本家チームを見ると……。血みどろチームだった。

これはやばい。

魔法少女まどか☆マギカみたいになるのかと思った。

ニトロプラスだし、太郎丸(犬)の声優が加藤英美里さんだし。

 

でも予想を超えて、すばらしい逃避の解消の演出だった。

 

二話の図書館で、ゾンビに襲われるシーンがある。

ゆきが現実になにが起こっているかわからないので、かれらに追われてしまう。緊迫感がありつつも、みーくんやりーさんやくるみがゆきを白痴扱いしていることがわかる。

 

あの場面のいらだちと諦観は、何度かゆきが現実逃避して、見当違いなことをいっているときに皆がじゃっかん苛立っているのがわかる。

 

ゆきの魅力は笑顔と無邪気さだ。

現実を逃避していることを皆は仕方ないと思いつつも、どこか、ずるいと思っていたり、苛立つことはあるものの、ゆきの笑顔と無邪気さでありえない非日常を日常化している。

それがみなの支えであり、救いなのだ。

 

それでも、ゆきの現実逃避への罪のようなものが徐々にたまっていく。

その罪をどうやって解消するのかを私は見守った。

 

更に演出でよかったと思うのは、りーさんの描き方だ。彼女はあくまでも園芸部の部長であり、しっかりしているが、ここぞというときにもろく、うろたえてしまう。11話でくるみがかれら化をしそうな時に、包丁でとどめを刺そうとする。くるみはもしゾンビ化したら、りーさんに「迷わないでほしい」という。ゆきはすでに現実を逃避していたし、みーくんはショッピングモールからきたばかりなので、実質りーさんに頼むしかなかったわけだが、りーさんには背負いきれないだろうなと思ってしまった。

 

最後はなんとかりーさんがこらえてくれて、くるみは助かったわけだが、りーさんの心境を思うと、よく頑張ったなと思う。

「ミスト」では粘れなかったが、りーさんがねばってくれたことで良い方向に向かったことを描いていれたことがとてもよかった。

 

特に11話からの怒濤の展開は文字通り、手に汗握って見た。

 

 

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5,「がっこうぐらし!」のストーリー編「ゆき」はいつ自分を許すのか

 

ゆきの免罪符の描き方が王道で、見事だった。

ゆき自体は現実逃避に罪なんて感じていない。

だって、頭のなかではゾンビはいなくて、めぐねえが死なずに、いつでもそばにいてくれる。

 

罪という言い方があっているのか、私にはわからないが、「学園生活部」のみんなは多少なりともゆきに対して思うことがあるのは確かだ。

 

だから物語として、この通過儀礼をクリアしなくてはならない。

 

私は現実を思い出して、かなり苦しむのではないかと予想した。

脚本チーム……。それにゾンビ系ホラーなので、結構容赦ないインガオーホー(ニンジャスレイヤー)がやってくるのではないか。

 

しかし、違った。綺麗だなって思った。

 

10話後半でくるみが怪我をしてからのシリアス回で、ゆきは見えている世界と、実際の世界の乖離を意識するようになる。

 

そこから、11話ではなんと、みーくんがゾンビがなだれこんできたときに唖然としているときに助ける。

まだ現実と客観の乖離はあるものの、ゾンビを認識できるぐらいには回復している。

 

そのまま、みーくんがくるみへの薬をとってくるために、地下へと向かう。みーくんが地下でゾンビにかこまれて、ピンチになった時に、ようやくゆきが動き出す。

 

いままでの現実逃避していた罪を、みーくんやみんなを助ける為に、行動する。この瞬間にゆきは許された。

更に、ここで、めぐねぇ(現実逃避の象徴)を喪失する。

 

このヒーロー的利他的な行動と喪失を同時に描くことで、ゆきは自らの罪に苦しむ前に、救済を得た。

 

こんなに綺麗に罪を処理できるのだと感動した(ディすってないですよ。素直にそう思ったんです)

 

過去の罪に対して、利他的な行動による救済は王道だが、そこに喪失をあわせると、素直に主人公のヒーロー化をすんなり受け入れられるなと思った。

 

ゾンビ化しためぐねえを眠らせられるのは、ショッピングモール出身のみーくんだけだし、くるみの命を預かれるのは、りーさんだけだし、ラストに放送室で、かれらを家に帰せるのは、ゆきだけだった。

 

ゆきは現実逃避しつつも、いちばんがっこうぐらし!が大好きだったからだ。みんなは非日常をむりやりゆきを通して日常にしていたが、ゆきだけが逃避しつつも、純粋に学園生活を楽しんでいたからだ。りーさんはがっこうに集まってくるかれらに対して、私は好きじゃ無かったと発言している。それは昔のことなのかもしれないし、今のゾンビだらけのがっこうが好きではないといっているのかもしれない。

すくなくとも、りーさんに放送室でかれらを家に帰す力はなかっただろう。

 

ゆきの免罪符は自らの利他的な行動によって与えられた。それと同時に心の支えを失った。すばらしい通過儀礼の話でもあり、王道だなぁと。

 

 

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6,まとめ 「ミスト」「ライフ・オブ・パイ」を比較して見て、「がっこうぐらし!」はどうなのか。

 

長くなってしまって、ほんとうにすみません。

ようやくまとめとなります。

 

何が言いたかったかというと、

「ミスト」で理不尽なとんでもない状況の中、自分自身を許せない免罪符不在の地獄を見た主人公を経験した私たちは、「ライフ・オブ・パイ」や「がっこうぐらし!」のように、時に逃避をしたとしても、ゆきのように仲間の為にバットをふるえるようになりたいねっ。そうしないと、地獄を味わうってことです。

 

ゆきはラストの放送室に向かう際にかつてのクラスメートに向かってバットをふるう。感動的な場面だし、勇気づけられる。新しいヒーローが誕生した瞬間です。

 

その後、免罪符を得たゆきは学園生活部の中心になります。(以前は白痴としてのいつわりの中心人物だった。)

 

それを見ていて、多幸感がやってきました。

ゆきへの免罪符の処理を、これほど丁寧に描いてくれた。王道で美しい物語だなっと。

 

ディティールもよかった。

「ゾンビ(1978)」へのオマージュも感じました。

 

ゾンビが弱い。

走らない。

音に敏感。

かつてよくいた場所にゾンビが戻ってくる。

大きな建物に閉じこもる。あたりかな。

 

 

ホラーというジャンルは、現実の理不尽なことに対する耐性をつける意味もあるそうで、ジョジョの荒木先生はホラーを可愛い子ほど、ホラーを見せよ、と言っています。

 

荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論 (集英社新書)

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 私はホラーは苦手なのですが、荒木先生は、血が苦手や怖い物が苦手だからとホラーを見ないのは極端ではないかと言っていて、それでホラーを今頑張って見ているところです。

 

そういった意味でのホラーの入門としても「がっこうぐらし!」はすぐれた作品だと思います。

 

がっこうぐらし!の原作の漫画コミックは未読なのですが、これから読んで見たいと思います。

 

がっこうぐらし!を血みどろにしなかった、血みどろ脚本家の方々と、制作関係者の方々、すばらしい作品をありがとうございました。二期、期待しています。これからも応援しています。

 

そして最後まで、私の長い感想を読んで下さった方、ほんとうにありがとうございます。

 

※写真等使わせて頂きました。ありがとうございます。

                                  (終わり)